担保出せ

 ちょっとばかり企みがあって、ブログが疎かになりかけている。読者が殆どいないのはちょっとばかりやる気を失わせる。ここに移ったことを知っている読者がいないのだからそれはそれでしょうがないのだが、サーバーのトラブルで多くの読者を失ったことは間違いない。まあ、ボチボチ再構築することにしよう。

 ここ数日でじゃがいもを30Kg程植えた。定番のメイクイーン、ダンシャクを始めとして、はるか、インカの目覚め、アンデスレッドなどなど。まともに生長したら収獲しきれるかどうか不安である。その時は観光農園として、掘った分の半分を置いて行けば半分は無料でどうぞというシステムを動かすことにする。

 一昨日頼んでいた椎茸の駒が届いた。原木の用意は終わっているので、明日は駒うちの予定である。都合良く今日は雨が降っている。適当に湿気のある原木への駒うちになりそうで、秋の収穫が楽しみである。町中にいると生椎茸に出会うことは少ない。私も自分で栽培するまで、生椎茸を食べた記憶は殆どなかった。去年の年末頃から、昨年仕込んでいた椎茸が採れ始めた。取り立ての生椎茸をホイルで包んで柑橘類の酢醬油で食べる、天ぷらにしてダイコンおろしと食べるなど、結構贅沢な食生活ができている。椎茸も松茸同様、味だけではなく香りを食べるものだと改めて感じている。

 先日、生活費を下ろしに銀行へ行った。コチョコチョと下ろすのは面倒なのでまとめて下ろすようにしてるのだが、70歳を超えると、振り込め詐欺の問題があるためという理由で、用途を聞かれる場合が多くなった。「何にお使いになるご予定ですか」などと、作り笑いとともに慇懃無礼に聞いてくる。素直に答えればそれで良いのだろうが、根が天邪鬼でありまともに答えたくない。「えー?言わなきゃいけないの、プライバシーに踏み込みすぎじゃない?」担当した女子行員こそ迷惑だろうな。しかし彼らも仕事である。「ええ、一応お聞きすることになっていますので」とさらに追いかけてくる。そこで小さな声で『手切れ金」と答える。「えっ」と言ったた瞬間に合わて「手切れ金、これ以上云えないよ」と言って、ウインクして帰ってきた。はは

 もっと前に銀行に行った。普通預金が少しあるようですから定期預金にしませんかと、かなり強く勧誘された。「定期預金?この歳だから何時病気するか分からんし」と言って婉曲に断ったのだが」いやいやまだ「お若い」しなどと、強めに迫られた。面倒になったので、「担保もないし」と撒き餌をしたら食いついてきた。定期にするのに担保は要りませんよ。この行員さん、内心ではこの馬鹿は預金するのに担保がいるなどと思っているのかと考えたに違いない。そこで一言、『担保を差出すのはそっちだよ。俺が銀行に金を貸す訳だろう、それも一定期間引き出せないという不自由な条件で。担保、出せるかい?」と言って、混乱している銀行員を置いて帰ってきた。

 今頃、要注意人物のマークが付いているかもしれない。あの支店には行きにくいな。でもこの時代である、要注意人物の情報は全支店に伝わっているかもしれない。銀行、変えようかな。

 

放浪

 先日、朝から雨が降っていた。少しばかり朝寝をして遅めに起きたのだが、雨の日はすることがない。することがないと生きがいを感じない。この貧乏性は治らないようだ。

 すでに21万キロ近く走っているプリウスを所有している。ここしばらく乗っていない。これで出かけることにしようと思った。困ったことに左程行きたい所がない。6角形の鉛筆の面に、ランダムに右直左と印を付け、机の上で転がして、右直左の並ぶ列を作った。ある程度大きな信号があるたびに、作った配列に従って進む。老化が進むと幼児化するといわれるが、まさにその通りである。

 昼過ぎに家を出てこの遊びを続けていたら小石原の行者杉を通り、英彦山から香春岳の山麓を通って北九州市へと向かう322号線に乗ってしまった。午後4時近い時間である。帰ることを考えると、さすがにこれ以上家から離れるのは嫌だと思い、遊びを中断、小倉南インターから高速に乗った。

 そのまま高速で帰れば、大回りになるとは云え福岡、鳥栖を通って90分程で帰れるのだが、何せ高速料金が高すぎる。従って、八幡インターで下りた。後は200号線にのり冷水峠から朝倉市を経由して帰宅した。午後6時近かった。

 幾分悔しいのは、この間良く晴れていたことである。こんなに天気が良かったのであれば、色々と片づけることができたのにと忸怩たる思いである。人生とは馬鹿な行為の積み重ねである。

「ゾフルーザ」耐性ウイルス

 

 

 昨日働き過ぎたというか、管理機(耕耘機)を使いすぎたらしく、昨夜から手のひらが腫れ痒みが出ている。手のひらにまで圧迫性のアレルギーが出るとは思わなかった。さらに、両手首に何とも言えない痛みが出ている。症状は左手の方が酷く右手より1割程大きくなった。だからといって何をするわけではない。ありゃ大きくなった、左手がみっともないじゃなくミットみたいだ、と独り言を言いながら、タマネギに追肥をした後はずっと草取りをしていた。代わり映えのしない毎日である。

 

 世の中ではインフルエンザが流行っているらしい。インフルエンザの新薬「ゾフルーザ」について、抵抗性のウイルスが見つかったと云う報道がなされている。

 ちょっとばかり「夢のインフルエンザ薬「ゾフルーザ」 薬が効きにくくなる耐性ウイルス発見」という記事から引用するが,その記事にはこんな風にかいてある。

 

国立感染症研究所は昨年12月、インフルエンザの集団感染があった横浜市の2カ所の小学校で、6〜7歳の児童4人から採取したウイルスの検査を実施。4人のうち1人は、検査の二日前にタミフル、残る3人は、検査の前後3日以内にゾフルーザを投与されていた。4人のウイルスを遺伝子解析したところ、ゾフルーザを投与された後に検査を受けた児童2人から採取したウイルスでは、ウイルスが持つタンパク質の特定のアミノ酸に、薬が効きにくくなる「耐性変異」が起こっていることが明らかになった。この2人のウイルスは異なる遺伝子配列を持っていることから、ゾフルーザを投与したことで、それぞれの患者の体内で起こった可能性が高いという。」
 

 この記事から判断すると、「ゾフルーザを投与すると患者の体内で耐性変異(突然変異)が起こった」としか読めない。では、ゾフルーザは突然変異誘発剤であるのか?ということで、

 記事の原報である国立感染症研究所のサイトで対応する部分を見てみると、

  

「2株のPA I38T耐性変異ウイルスは異なる遺伝子配列を持っていたため、ヒトからヒトへの感染伝播ではなく、それぞれの患者の体内でバロキサビルの投与により選択的に増殖した可能性が示された。

PA I38T耐性変異ウイルスとは、ウイルスの持つRNAポリメラーゼの一つのサブユニットタンパク質であるPAの38番目のアミノ酸に変異によって感受性が低下した=薬が効かなくなったウイルスを云う。ゾルフーザはバロキサビルの商品名:括弧内は筆者が加筆)

となっている。

 

 ここには、「患者の体内でバロキサビルの投与により感受性の低い株が選択的に増殖した」と書いてあるだけで、突然変異を誘起したとは書いていない。要するに、いま流行しているインフルエンザウイルスのなかに、ゾフルーザに感受性の株と感受性の低い(耐性を持つ)株があり、ゾフルーザの投与で非感受性株が選抜された例が発見されたに過ぎない。初めから流行しているインフルエンザウイルスには、色々な性質を持ったものが混在していたという至極当たり前の話になってしまった。

 そりゃーそうだろ。インフルエンザウイルスを吸い込んで、発病する人もいれば発病しない人もいる。腐ったのもを食べて、なんともない奴もいれば、下痢する奴もいる。ウイルスがSNSを使っていれば、せっかく感染しても増殖をさせないホモサピエンスがいると云う情報を流すだろうな。

 

 

 今日は29日、朝から良い天気である。一日中畑の中で草取り三昧、とはいえ畑の面積が2反半程ある。二反半と云っても多くの人には伝わらないかもしれない。坪で云えば450坪、言い換えれば約1,500坪である。この面積を這いつくばって草取りなんてできやしない。そんなことをすればこっちが疲労困憊して救急車に乗ることになるだろう。ではどうしているかと云えば、作物(ワケギ、タマネギ、葉ダイコン、二十日大根など)の畝間を管理機が通れるように広くして植えている。こうしておけば、管理機で通れば草が取れるだけでなく、その後畝立て機で通ると土寄せができる。但し、それで良いかと云えばそうでもない。作物の根際から生えた草は別に取る必要がある。これもしゃがんで取ると膝が痛くなる。この時役立つのが除草鍬あるいは穴開き鍬と呼ばれる道具である。とにかく座るという行為をできるだけしなくて済むようにしている。

 車窓に、耕耘機を押しているおじさんを見るとノンビリとした田舎の風景だななどと思いがちだが、あれはのどかな風景ではない。結構な重労働である。土を抱え込んで前に進まない管理機を押すのは辛い。こんな冬の日でも、汗が流れる。数十坪くらいの家庭菜園であれば大したことはないが、100㎡を超えるようならかなり大型の管理機が必要となる。今日はその家庭菜園用の管理機で作業をしたため、疲れ果てただけでなく両手の手首に痛みがでている。用心してはいるのだが相手は自然であり、こちらの思惑通りになるものではない。

 実は昨年中に小型のトラクターを買っている。ただ、乗るのが恥ずかしい。収益も上げていないのに、道具ばかり買ってどうするつもりだといわれそうなのを気にしている。先日の飲み会でカミングアウトしたのだが、トラクター無しでは無理だろう。良いのがあったねと、好意的に受け止めてもらった。近日中に乗り始める予定である。

 ハテナブログに避難中なのだが、そろそろここに定住しても良いかなと考え始めた。失われていた歴史生物学ブログも何とか6割程度は再現できた。また消されてはかなわないので、その時は有料ブログへと移るつもりだ。

 話は変わるが、サハラ砂漠では洪水が起こって,溺死者が出ている。アフリカの北海岸でも豪雨被害が出ているようだ。砂漠緑化が起こっていると楽観視もできないような異常気象である。一方、東ヨーロッパから中東にかけては、異常低温に見舞われている。異常低温はロシアの東部とアメリカの五大湖周辺でも起こっている。日本は幸運にも北極からの極渦の吹き出しから逃れているが、来年も幸運が続くかどうかは分からない。一方、今が夏であるオーストラリアのティブーブッラ空港では、最高気温が 48℃を記録している。嵐の解散で騒ぐのではなく、嵐の連続を心配すべきであろう。

 新聞もTVも重要なニュースは流さないので、自分で探して自分なりに解釈しないといけない時代のようだ。Ring of fire と呼ばれる環太平洋火山帯、極めて活動が活発である。昨年から、幾つかの火山が一万メートル以上に噴煙を噴き上げた。対流圏の微粒子は比較的速やかに落下するが、成層圏まで上がった微粒子はなかなか落ちてこず、地球に寒冷化を引き起こす。天明2年から天明7年に渡り起こった天明の大飢饉、これは浅間山アイスランドラキ火山等の噴火エルニーニョ現象がかさなって起こった冷害であったが、現在の状況がこの時によく似ている。火山活動が異常に活発で、昨年末からエルニーニョ現象が起こっている。この冬は暖冬気味だが今年の夏はどうなるか、かなり注意深く見ていないといけないなと考えている。今の時代、美味しい米だけを作り、冷害に強い品種など作っている農家はないと思う。冷夏でも収穫できる作物は何だろう。

 

演歌の在庫

 日曜日、午前10時過ぎから住んでいる地域の人達と新年会であった。新年と云うには少し時間が経ちすぎた気がしないこともないが、現在の都会生活ではあり得ないような親睦会である。知っていたはずの人の思いがけない一面が見られる機会であるが、これは同じく私も何らかの一面を見られていることを意味する。毎日、ちょっと無精で不器用な農作業を見られているわけだから、もう何も隠すものはないと、ひたすら自然体で酒を飲み、疲れたら横になる。

 昨日からの雪が残っていて、きょうは農作業などできそうもない。皆、仕事をサボって飲んでいるのではないという罪悪感フリーの状況になったことを喜んでいる。6時間続いた一次会の後、カラオケボックスへと拉致された。実はカラオケボックスに行くのは初めてである。勿論、スナックやクラブへ行きカラオケで歌ったことはあるのだが、歌うのがメインの箱はちょっと以上に雰囲気が違った。まず音量が凄い、歌うのが目的なのだから歌う人の入れ込み方が違う。入店してくる人達のレベルも高い。カラオケで歌唱指導している人が生徒さん(といっても歳は色々)をつれて入店してくる。色々な人間模様が見られただけでなく、女性の観察眼の鋭さがとても新鮮だった。まだ、人生勉強が足りないようだ。

 ただ少しだけ困ったのは歌われる歌が、演歌であるか、艶歌であるか、怨歌であるかの分類は別として、まず100%エン歌である。17歳でビートルズの洗礼を受け、30歳ころまでは邦楽を聞くことは殆どなかった。その後、10年程は仕事に追われただけでなく、TV番組のくだらなさに腹を立ててTVを捨て去って今日に至っている。現在はYoutubeで作業用のJazz を聞いているくらいだ。人生で演歌との出会いが殆どなかった。嫌いではないのだが、感情移入性の強い演歌はBGMにすると仕事が捗らない。持っている鉛筆の芯が折れそうになる。従ってVocal曲であれば、聞き取れない英語の曲の方がBGMには適している。つまり、困ったことに歌えと云われても雰囲気に合わせて歌える持ち歌がない。

 2〜3曲歌うともうネタ切れ、来年までに他の人と被らない歌の在庫を増やしておく必要がありそうだ。加齢故に歌詞まで覚えるのは無理だが、これは画面に出るので何とかなるだろう。とすれば練習時間を如何に捻出するかが問題にある。まあ、イヤホンを付けて山の畑で歌うしかないだろう。でも、作業中の音は使っている機器の状況判断に不可欠である。イヤホンを付けるとしても片耳ということになるだろう。そうすると音源はステレオではなくモノラルでないと困る。携帯はガラケーである。誰か良い方法を教えてください。

 

再充電

 

 ワードプレスの不調故に一般的な商用ブログに乗せようかと考え、何とか独自ドメインは取得した。でもそこで集中力が切れたようだ。次にどの板に乗せるかと各種サイトを比較していたのだが、嫌になった。勿論、無料のものであれば直ぐに書ける。でもそれでは独自ドメインを購入した意味がない。何とか有料ブログを使おうと説明を読んだのだが、馬鹿の壁が邪魔をして頭に入らない。放電してしまった蓄電池のような気分である。数日かけて再充電し、再度分かり難い説明文を読むことにする。

 

 先週は果樹の更新で切られた梨の木を相手に、チェーンソーを振り回していた。軽トラで6往復か7往復した。そのまま乾燥に入るものと、薪割りが必要なものに分けて保管中である。いくぶん以上に疲れ気味である。

 

 チェーンソーといえば近頃電動のものが増えてきた。とはいえやはりエンジン式のものが使い勝手が良い。始めて就農したとき、どの機種を選んで良いか分からなかった。値段は色々、メーカーも色々、大きさも色々とあって迷っていたときに、師匠がこれにしろと言った機種がある。ゼノア エンジン式チェンソーG2501Tである。小型の機種でありながら価格はかなり高い。そんなに高い物を買うのかと一瞬躊躇したが、師匠の経験に基ずく助言には従わざるを得ない。それを買った。正解でした。使い勝手が良いだけでなく、非常にパワフルで、小型の機種とは云え直径50cmくらいまでの木なら切断できる。重宝しています。

 

 駆け出しの頃、チェーンソーで苦労しながら木を切っていた。実家が木樵という友人がいる。私の姿を見て、ソーチェーンが切れよらん。刃はいつ研いだ。こんな切れない刃では怪我をするぞ、と厳しい指摘を受けた。彼が言うには、刃は一日に3回研ぐものだという。朝研いで、昼研いで、3時に研ぐ。私はソーチェーンを買って2週間くらい使い、研ぐ技術がないので新しいソーチェーンを買い足していた。消耗品とにしては、余りにも高いと思っていたのである。とにかく、彼に研ぎ方を教えてもらった。それからの作業は非常に楽になった。恥ずかしいので周りには云っていないのだが、そういう訳で新品同様のソーチェーンが10本くらいある。これらをちゃんと研ぎながら使うとすれば、寿命の方が足りなくなるのは間違いない。これらのソーチェーン、現在はきちんと研磨してチェーンオイルに浸して保存しています。

血の抗争

 梨の徒長枝の処理をし続けている。落ちた枝を集めて燃やしていたのだが、量が多くなると上に張ってある番線(針金)に炎が届いてしまう。勿論、金属の酸化を促進するためこれは好ましくない。トタンを上にかぶせて炎が上がらないようにして焼いていたのだが、そうすると煙が大量に発生する。夕暮れになると、喉が痛くなり声が魅力的なバリトンになる。木を燃やした煙にひどく有害なダイオキシンが含まれると言う話が真実なら、肺がん決定であろう。近所に家はないし、好きでやっているのだからまあ仕方がない。

 それにしても、チビチビ燃やすのでは仕事が進まない。煙を出さずにきちんと燃やすために、山のクリ畑へ運ぶことにした。まず運搬車で落ちた枝を拾い、これを軽トラに積み替える。山に運んで下ろすのだが、枝が絡み合って疲れることこの上ない。昨日5往復、今日は4往復した。今日の軽トラの走行距離は30Km、まだまだ、先は長い。

 2日程、このブログがおかしかった。I 先生に問い合わせようと思ったが、あまりに騒ぐのもみっともないと思い我慢していたら、今日復旧した。ということは、I 先生は元気らしい。このブログで使っているドメインといって良いのかな、ok-japan.comの部分は O 先生がまだ費用を負担しているのかな。余りにお任せ過ぎかなと少しは反省している。昨年消えてしまった「アブシジン酸の総合的理解に向けて」という部分が9割程復活した。アミノ酸配列の比較から植物の進化を議論した部分だけが、もう少し残っている。このあたりは再度KEGGのデータを見直しているため、極度の睡眠不足と眼精疲労の原因になっている。この歳で昼間は肉体労働をしながら寝るのは毎日午前2時を過ぎている。

 いますごく迷っている。ブログで学問的な部分だけをどこかの商用サイトで公開しようかなと考えているわけだ。ある程度まとまったところでe-Pubつまりネット出版を考え始めたのが原因である。でも、紙媒体での出版のほうが魅力的であることは間違いない。この感覚がそもそも古いと云われればそうかもしれないが。

 少しはましなことを書きたい。11日のニューズウィークに過激な記事が載っていた。「地球温暖化で鳥類「血の抗争」が始まった──敵を殺し脳を食べる行動も」という記事である。内容については以下を参照して欲しいのだが、 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/01/post-11530.php どう考えても表現が過激で過激である。さらに、地球温暖化で血の抗争が激化すると書いているが、現実は「争いが激化するのは寒い春」であるとも書いてある。そして、「現時点で争いの増加は種の生息数に影響するほどではないが、将来的には「異種間の競争がより激しくなるかもしれない」と研究者たちは結んでいる。」という結論に至っては、何を言いたいのか分からない。もう少しロジカルな文にしてくれないと、頭に入らない。

 それよりも、鳥類は恐竜の子孫であることを前提に考えれば、彼らが殺し合いをしていることに違和感はない。ワシやタカ、フクロウやカワセミなどを初めとして、肉食の小鳥はいくらでもいる。スズメやニワトリであってもバッタの足をもいで、ミミズを引っ張り出して食べているではないか。彼らは、我々が思う程平和的な生き物ではない。美しく聞こえる囀りは、縄張りを主張するためのものである。昨日、傷ついたカササギをカラスの群れが取り囲み、突き回していた。多分殺して食べたに違いない。山のクリ畑に行く道の脇に、時々イノシシの骨を捨てる人がいるのだが、集まってくるカラスの数といったら半端ではない。その時のカラスの顔は凶暴そのものである。